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「延命治療諾否」冊子が物議 京都市配布に抗議も~京都新聞

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京都市は、人生の終末期の医療に備えて自らの希望をあらかじめ書きとめておく「事前指示書」を市民が作れるよう、関連リーフレットと併せ、各区役所などで4月から配布を始めた。人工呼吸器をはじめ、胃ろうなど人工栄養法や看取(みと)りの場所といった希望を事前に医師や家族らと共有する目的だが、終末期医療に詳しい医師や法律家から「人工呼吸器を使って生きる選択を難しくする」と撤回を求める声が上がっている。

平成29年4月24日
京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170424000013

この記事は、どちらかというと「事前指示書」に反対の立場の方の意見を代弁する形となっています。

話題の京都市のページを覗くと、

「リーフレット「終活~人生の終末期に向けての備え~」の発行について」と題したページがありました。

このリーフレットは、「終活」というだけあり、明記はされていない者の基本的には高齢者を対象にし、人生の最期をどのように迎えたいか、元気なうちから考えてもらおう、という趣旨で作成されたもののようです。

その一環として、医療について、自分の受けたい・受けたくない医療を事前に自分で決めることができるよう「事前指示書」を提示したようです。

リーフレットおよび「事前指示書」はホームページからpdf形式でダウンロードすることもできますし、京都市長寿すこやかセンターで配布もされているそうです。

京都市 【広報資料】リーフレット「終活~人生の終末期に向けての備え~」の発行について
http://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000217933.html

■目次

実は京都市だけではない

今回は地元の京都新聞が取り上げたことで大きなニュースとなっていますが、実は、自治体が「事前指示書」について紹介するのは京都市が初めてというわけではありません。

平成29年4月24日現在、「事前指示書」で検索すると、色々な病院や医師会などともに、愛知県半田市のサイトが出てきます。

 

終末期とは?

そもそも、ここで挙げられている「終末期」とは、どんな状態を指すのでしょうか?

ここ数年、報道などでも良く聞くようになった言葉ですが、実は正確な定義というものがありません。というか、正確に定義するのが困難です。

一言でいうとすると、「人生の最期の時期」が「終末期」なのですが、何を以って最期とするか、というのが非常に難しいのです。

例えば、数日で決着がつくことが多い救急医療の現場と、数か月あるいや数年かけて終末期に辿り着くがん治療の現場の「終末期」は、同じ言葉を用いていても微妙なニュアンスが異なります。

個人的に一番妥当で、治療の色々な側面を包括していると思う定義は、公益社団法人 全日本病院協会が平成28年11月に出した「終末期医療に関するガイドライン ~よりよい終末期を迎えるために~」の中の定義です。

「終末期」とは、以下の三つの条件を満たす場合を言います。

1.複数の医師が客観的な情報を基に、治療により病気の回復が期待できないと判断すること

2.患者が意識や判断力を失った場合を除き、患者・家族・医師・看護師等の関係者が納得すること

3.患者・家族・医師・看護師等の関係者が死を予測し対応を考えること

終末期医療に関するガイドライン ~よりよい終末期を迎えるために~より一部抜粋
http://www.ajha.or.jp/voice/pdf/161122_1.pdf

以上の定義から考えると、「終末期医療」とは「現時点の医療レベルから考えられる最大限の治療を行ってもなお、近いうちの死が避けられないとき」に生じるものとなります。

実際に「終末期」になってから考えれば良い?

お身内に重病の方がいらっしゃる方は別ですが、それ以外のほとんどの方は、「終末期医療」について実感を持っていないと思います。

そのような状態になった時に改めて考えれば良い、という意見もあるかもしれません。

ですが、それでは間に合わないことの方が多かったりします。

がんの末期などを除いた大抵の場合、「終末期医療」が必要になった時点では、自分の意思がきちんと表示できなくなっていることが多いものです。

さらに、救急現場に身を置くと、突然の事故や病気で「終末期医療」について考えなくてはいけない、つまり命の危機にさらされるということが頻繁に起こります。

ある日突然、家族が事故に遭った…
ある日突然、家族が大きな病気になって意識が戻らない…

このような状況で、「終末期です。どのような治療をご希望ですか?」と聞かれて、冷静な判断ができる人の方が少ないと思います。

そのために「事前指示書」があるのです。

「事前指示書」には何が書いてあるのか?

事前指示書」に書かれた項目は、いずれも医療行為として行うものです。

例えば、

耐えられない痛みがあるときに強い鎮痛剤(痛み止め)を使うことを希望するか
(強い鎮痛剤=ほとんどが麻薬系の薬であり、痛みは和らぐかもしれませんが、同時に頭がぼぼーっとしたり強い眠気が生じたりして、正常な判断力を失うことがあります。)

口から食事が取れなくなったときに、胃ろう(身体の外から胃まで穴を開けてチューブをと通し、栄養剤を直接胃に入れる)を希望するか。
(特に高齢者の場合、「口から食事が摂れなくなったら寿命」という考え方もあるのかもしれません。逆に、胃ろうから栄養を入れることで吸収が良くなり、身体が元気になってもう一度口から食べることができるようになる、ということも稀にあります。)

心臓が止まった、呼吸が止まった、という場合に心肺蘇生を希望するか。
(一時的に心臓を動かすことは、ほとんどの場合可能です。また、呼吸に関しては、人工呼吸器を装着すれば、肺がある程度生き残っているうちは自分で呼吸ができなくなっても生存可能です。ただし、心肺蘇生を行ったからといって、もともとの病気が完治し、元気に回復する見込みはないケースがほとんどであると思われます。)

などの項目が大抵の「事前指示書」にある項目です。

これらを行えば、少なくとも「身体の寿命」を少し伸ばすことができます。

ですが、意識のない、もしくは自分の意思がなくなってしまったような状態(重度の認知症などを含みます)で「身体の寿命」だけを伸ばしても意味がない、と考える人も大勢います。

逆に、1分1秒でも良いから、意識がなくても良いから長くこの世に生きていたい、という人も大勢います。

これは、その人にとっての「生きる」ということの意味(自分として「意思」を表現できることが大切なのか、身体の寿命を最大限伸ばすことが大切なのか)を問われているのと同じことです。

それは医療者が決めるべきものではなく、その方自身が決めるべきものです。
誰に強制されて決めるものではありません。

自分で決めた意思を明らかにするのが「事前指示書」の役割です。

元気なうちに、自分の最期についてゆっくりと時間をかけて考えることができる。

これは、とても大きなメリットがあると思います。

いつ起こるかわからない「終末期医療」に備え、自分の人生の最期を自分で決めるために、自分の受ける・受けない治療を自分の意思で決めることのできる「事前指示書」の意味は非常に大きいと考えています。

事前指示書の何がいけないのか?

事前指示書」に反対する意見としては、記事によると「人工呼吸器を装着して生きるという選択肢を狭める」「差別や弱者の切り捨て」といったものがあるようです。

確かに、市や国が「事前指示書」を強く推進するということは、昨今の「医療費削減!」の大合唱をみていると、「助からないからといって希望する医療を受けさせないように圧力を×のではないか」という不安が生じるのももっともな話だと思います。

 

どちらかというと「尊厳死」「延命治療拒否」を求める声の方が大きく報道されてきたために、「事前指示書」によって「人工呼吸器をつけさせてもらえない」「必要なはずの医療を受けさせてもらえない」という印象を持つ方が出てくるのだと思いますが、「事前指示書」の本来の意味合いは、前記のとおり「自分で受けたい医療を決める」ということであり、決して「(延命を含めた)治療をしないことを強制する」という趣旨のものではありません。

逆に、超高齢者の場合、最近の風潮として「過剰医療を避ける」という観点から、しばしば延命治療が行われないことがありますが、「事前指示書」できちんと「あらゆる場合にすべての延命治療を希望する」というご本人の意思表示があれば、できうる限りの治療が施されるのです。

「事前指示書」を正しく使うために

事前指示書」を正しく使うためにはどうすればよいのでしょうか?

患者さんを含めた一般の方にとってはなじみが薄いものだと思いますので、とりあえず「事前指示書」を眺めてみることをお勧めします。

ネットで手に入る「事前指示書」も多いです。
事前指示書」というと堅苦しいように思えますが、大抵の指示書には、わかりやすい説明用紙がついています。

説明用紙をみながら、家族で「自分ならどうしたいのか」について話し合っておくと、いざというときに慌てなくて済みます。

大切なのは、事前指示書」はいつでも変更ができる、ということです。
色々と知識を得る中で、「この項目は今の意見と違う」ということが出てきたら、いつでも変更してよいのです。

記載した「事前指示書」には法的拘束力はありませんが、少しでも重みをもたせるためには「公正証書」として残しておく、という方法があります。

「公正証書」は、私的ことがらについて権利関係などをはっきりさせておきたいときに、国が定めた公務員である「公証人」が内容を証明する文書です。

「尊厳死」を希望する際にも利用できますし(「尊厳死宣言公正証書」)、逆に「延命治療」を希望するという強い意思を示したい場合にも利用できます。

「尊厳死宣言公正証書」とは?

「尊厳死宣言公正証書」とは、嘱託人が自らの考えで尊厳死を望む、すなわち延命措置を差し控え、中止する旨等の宣言をし、公証人がこれを聴取する事実実験をしてその結果を公正証書にするものです。

日本公証人連合会 公証事務 6 事実実験公正証書より引用
http://www.koshonin.gr.jp/business/b06#03

私たち医療者側ができることとして、患者さんに御自身の病状や「事前指示書」に記載された文言の意味など「情報を正しく知っていただく」努力をすることが挙げられると思います。

情報が正しく理解されていないことは、不安につながります。

外来の限られた時間の中ではありますが、不安を少しでも解消し、その方らしい選択ができるようなお手伝いができれば、と思っています。

「情報」を正しく伝える、という点では京都市のリーフレットもよくできていると思います。
テーマは「終活」ですが、「自分の意思を(遺される家族を含め)他人に伝える」という点に焦点を当てた作りになっています。
当然、自分の身体についての意思を表す「事前指示書」についても説明がされていますし、財産その他についての意思を表す「遺言」についても言及されています。

ついでに…ちょっと気になったこと~記事の書き方について

先日の『「ブラック産業医」について考える』の記事もそうでしたが、今回も、ホームページに「事前指示書」およびリーフレットを掲載した京都市の担当者の意見は記載されていません。

参考;「ブラック産業医」について考える

ここ最近、ニュースを読み込んでいくと、意見が対立する案件の場合、どちらか一方の当事者の意見のみで記事が構成されている場合が多いように思えてなりません。

新聞をはじめとしたメディアの役割は、「物事を公平に伝えること」だと思っていたのですが、最近の記事の作り方を見ていると、自分たちが伝えたいことが先にあり、そのために都合の良い立場の方にのみ取材を行っているように見えてしまいます。

これが極端な方向へ向かうと、いわゆる「世論誘導」にならないかと心配です。

そのような記事はほんの一部であり、その他大多数の記事は事実を公平に伝えようとしていると思いたいのですが…

新聞やニュース記事を読む際には、意見の偏りがないかチェックすることを考える必要があると改めて思いました。

 

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